こんにちは、かんどーです。
知人と本の話をしていて、いわゆる名作の話になり、「智恵子抄」の話が出ました。あれ? どんな話だっけと思い、再読しました。(わたしはタイトルを聞いても本の内容が思い出せません)
青空文庫で無料で読めます。
高村光太郎 智恵子抄
これ、20代の頃に読んだことがありました。わたしは一時期、仕事をやめて毎日神保町へ行って本ばかり見ていた時期があり、そのときに読んでいました。でも、当時は全然内容を理解できていなかった。作品の表面だけをささっと読み「女性のことを書いているっちゃ☆」としか読めていなかった。恐ろしく鈍麻な感情でもってこの本を読んでいた自分をおそろしくなりました。
智恵子抄の中の一節、「レモン哀歌」は教科書にも載っていた記憶があります。そのときはもっと理解できていなかった。わたしの記憶では「レモン哀歌」と宮沢賢治の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」が一緒くた、ごちゃまぜになっていました。「病気の人のことを見て書いたっちゃ☆」です。。。
若いころのわたしは、死というものを軽く見ていた。死はそんなに悲しくないとさえ思ってた。自分の中の最重要事項に死が来ることはなかった。他人事だったから。
年を重ねて、わたしの中で死はとてもこわいものになっていった。痛みの先にあるのが死、という単純認識。そして、年上の人と付き合っていくと、さらに死がこわいものになった。死にいたる病の恐ろしさも知った。自分がその嫌疑をかけられたこともあって、病院で検査をしたときは、結果が出るまで身を切られるような心の痛みに苦しんだ。死の恐怖をきちんと味わった。
死はその人の存在を「なかったこと」にしてしまう。いくら覚えていたって、記憶は薄れ、やがて心の中でその人の存在は薄まっていく。そうしないと残された人間はつらくて生きていけない。
避けようのない未来。いつかやってくる死。
わたしはたくさんの複雑な思いを抱きながら、あらためて「智恵子抄」を読みました。
「智恵子抄」は気狂いになって死んでゆく妻に向けた、壮大なラブレターです。合間合間に当時の生活(明治末~大正時代)のディテールがむきだしに描かれています。雨の日に家族の食事を買ってきて、むさぼるように食事をしたあとで肉欲がわいてくる…という描写なんて最高です。いつの時代も、人は、ご飯を食べてセックスをする。
せつない人間がそこにありました。時代を超えた人間そのものの宿命がありました。仕事というもの、ジェンダーについても描かれています。まだまだ「女性は家庭」の時代だったと思うのですが、智恵子は女流画家で、絵の才能がありました。そんな妻ですが、家事全般を夫にさせまいと努力し、自分の中に感情を押し込めている描写がありました。そんな妻を描く文章も、とても愛に満ちあふれていました。女性が自由に仕事をできない時代であったとは思いますが、少なくとも男女二人で営む家庭の中において、不幸ばかりでもなかったのではないかと思います。
今は平和に恋ができる時代となりましたが、それどころではない時代もありました。そんな時代の燃えるような恋や愛のあれこれを読むのは、時代を超えて著者とつながっているような錯覚を起こします。
少し触れてほしいので、一番好きなところを引用します。
僕等
僕はあなたをおもふたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり あなたがある
自分はこれに尽きてゐる
僕のいのちと あなたのいのちとが
よれ合ひ もつれ合ひ とけ合ひ渾沌 としたはじめにかへる
すべての差別見は僕等の間に価値を失ふ
僕等にとつては凡 てが絶対だ
そこには世にいふ男女の戦がない
信仰と敬虔 と恋愛と自由とがある
そして大変な力と権威とがある
人間の一端と他端との融合だ
僕は丁度自然を信じ切る心安さで
僕等のいのちを信じてゐる
そして世間といふものを蹂躪 してゐる
頑固な俗情に打ち勝つてゐる
二人ははるかに其処 をのり超えてゐる
僕は自分の痛さがあなたの痛さである事を感じる
僕は自分のこころよさがあなたのこころよさである事を感じる
自分を恃 むやうにあなたをたのむ
自分が伸びてゆくのはあなたが育つてゆく事だとおもつてゐる
僕はいくら早足に歩いてもあなたを置き去りにする事はないと信じ 安心してゐる
僕が活力にみちてる様に
あなたは若若しさにかがやいてゐる
あなたは火だ
あなたは僕に古くなればなるほど新しさを感じさせる
僕にとつてあなたは新奇の無尽蔵だ
凡ての枝葉を取り去つた現実のかたまりだ
あなたのせつぷんは僕にうるほひを与へ
あなたの抱擁は僕に極甚 の滋味を与へる
あなたの冷たい手足
あなたの重たく まろいからだ
あなたの燐光のやうな皮膚
その四肢胴体をつらぬく生きものの力
此等はみな僕の最良のいのちの糧 となるものだ
あなたは僕をたのみ
あなたは僕に生きる
それがすべてあなた自身を生かす事だ
僕等はいのちを惜しむ
僕等は休む事をしない
僕等は高く どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではゐられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
――何といふ光だ 何といふ喜だ
息もできないです。
全編通してこの熱量。刺さる箇所は違うでしょう。心を燃やしてほしい。
青空文庫で無料で読めます。
20代のころのわたしは、太宰治や坂口安吾の本を読み、人間の孤独を追及するようにして生きてきました。そして30代になり、もうすぐ40代。わたしは人といかに向き合うかを真剣に考えているように思います。読む本も変わりそうです。(好きな作家さんの本は引き続き読むけど)
夏草のにおいに包まれながら、どこかでじっくり読書したいと思いました。タイムスリップしてしまいそうな、日本情緒のけしきを見ながら。荒川の土手とかいいな。深川のちいさな川のふちにあるベンチもいいな。
また、何か読んだら書きます。
それじゃあ、また。
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