こんにちは、埼玉の矢口真里、かんどーです。
先日、ちょっとした議論になった。
ネット上ではなく、リアルの世界で。
議論というほどヒートアップしていなかったし、議論の芽が出た時点で「あ、イカン」と思ってその芽を摘んでしまった(その場を離れた)ので、人間関係にひずみは出ていないけれど、わたしの心拍数がとても上がってしまった。
ああ、これは自分の中でとても重要なことなんだ、と認識した。
ものすごく個人的な感情だし、つまんない話なので、面白い話が読みたい方はまた明日お会いしましょう! それじゃあ、また明日!
★今日の過去記事★
…わたしは昔、クラブシンガーをしていた。
10年以上前。24歳~26歳くらいまでだったかな。ライブバーで歌を歌ってた。週に2回ボイトレに通って、ボイトレのない日も毎日カラオケボックスやスタジオを使って個人練して。
いわゆるテレビに出る「芸能人」を目指していた時期もあったけど、なんか違うなって思った。バンドを組んでいた時期もあったけど、協調性のない性格のため続かなかった。
わたしは「歌職人」になる道を選んだ。一人で歌をきわめて、DJみたいな感覚で、昔の曲ですばらしい名曲をいまの時代に再現できたら素敵だなって思った。
音楽好きなお客さんがたくさん来るライブハウスや、ライブバーのようなところでシンガーとして働きたい。それがわたしの夢だった。
夢はかなった。
わたしは根がずるいので、正門から入らなくても、裏門から入ればいいじゃんって思ってる。そんな自分を許さなきゃ、世の中やってられないって思ってた。後ろ指さされても、やりたいことができた方が勝ちだって思ってた。
週2日、クラブに出勤してステージをこなした。お店は20時~23時までステージをしていた。普段シンガーの入りは18時。新曲を覚えたり振り入れをするときは、それより早く、16時にお店に行ってほかのシンガーと振りを合わせたりしていた。
わたしはそれがあってもなくても、15時にはお店の鍵をあけて、誰よりもたくさん練習した。このころ、昼間は人に言えないような仕事をしたりしていたけど、そんなことさえどうでもいいくらい、歌に熱中していた。
2年くらいそんな生活を続けていて、壁にぶち当たった。その壁がどんな壁だったのか、もうわたし自身うまく思い出せない。おなじクラブのシンガーとうまく行かなかったからなのか、オーナーと喧嘩したからだったのか(ギャラの未払いについてかなり揉めた)、お客さんからなにか言われてそれがショックだったのか…ごっちゃごちゃになっていて、自分でもよくわからない。
よくわからないけど、クラブシンガーをしている間にアル中になり、クラブシンガーをやめてからアル中の症状がますますひどくなったのは事実。それだけは覚えてる。
…どんなに練習しても、昼間のバイトを優先して(人に言えない仕事には手を出さずカタギやって)るほかのシンガーの方がうまく歌えることが憎かった。練習量はわたしの方が多い。これは明白だった。
わたしは憎悪に支配されながら、ほかのシンガーのコーラスを取る。コーラスは絶対にはずさない自信があった。3人でハモりを取るときでも、他の2人の音を聴いて、きれいに鳴る位置で音を出すことができた。わたしは魅力的な歌い手ではなかったけれど、音感だけは良かった。
毎日の発声練習のおかげで、音感を最大限生かす声の出し方ができた。わたしは今でも文体模写が好きなんだけど、声でも同じことができて、メインボーカルを取るシンガーの声質に近いところで音を鳴らしてコーラスを取った。メインボーカルの歌いまわしや、ブレスのタイミング、そこから予想されるフェイク。メインボーカルがフェイク決めるときは、あえてコーラスラインを歌わない「抜き」もアドリブで作った。曲が一番きれいに聴こえるコーラスをつとめていた。
わたしがメインボーカルを取るとき、ほかのシンガーがいまいちなコーラスをつけてくると、イラっとするようになった。そんな態度が伝わったのか、わたしのコーラスはやりたくない、という空気が流れていた。
当時のわたしは「ノリ」が非常に悪かったので、こぶしを突き上げたりシャウトすることがとても恥ずかしかった。やらなきゃいけないからやっている…そんな感じだった。今となってはこの「小さな壁」を超えられなかったことが、歌を続けられなかったきっかけじゃないかと思ってる。このころ今みたいな「ノリの良さ」があれば、きっとたいていのことは「楽しー!」って乗り越えられたんじゃないかな。
そんな、ぼやーんとした暗い思い出の中にある「歌」。歌をやめてから、わたしは歌を憎むようになった。わたしの人生から、若い時代をごっそり奪っていき、何も残してくれなかった歌を。葛藤は7年くらい続いた。懲役7年の罰を受けているような7年だった。
わたしが「歌」をあまり意識せず、ふつうに歌を聴いたり歌ったりできるようになったのは、わりと最近で。やっと音楽とふつうに付き合える…そんな風に思って気楽になっていたのに。
先日、ある人が音楽活動について「半プロみたいな」という言い方をした。スルーすればよかったのに、わたしは「“半”ってどういう意味の“半”ですか?」と聞いてしまった。その人は「プロってほどじゃないけど、まあそこそこやれて、だけど本業は別で持ってる、ゆるい活動してる人」と言った。アートを上から目線でみる人にありがちな、いやな笑み。
わたしはクラブシンガー時代、クラブで稼ぐお金は月4万だった(1日5千円×月8日出勤)。生活の糧は別のアルバイトで稼いでいた。そっちは月25万くらい稼いでいた。ボイトレも続けていたし、空き時間にスタジオに入ったり衣装を買ったりするので、このくらい稼いでもギリギリだった。
その人の理論で言うと、わたしのクラブシンガー時代は「半プロ」ということになる。半? ふざけんな。プロになるのに半分も全部もねえよ。自分の全部賭けて歌ってたんだよ。他人がどう言おうと。
…そう思ったところで意識が戻った。ヤバイ、喧嘩売りそうになった。
いったん離席して、戻るやいなや「最新機種の調子はどう?」とたずねて話を変えた。ホームボタンや尻の話をしてその日は終わった。
しかし、その日帰宅してからずーーーっとモヤモヤ。
わたしのなかで、まだくすぶっている。歌をやり切らなかったことが、くすぶっている。戻れるなら戻りたい。戻ってもっともっと音楽を楽しんで、音の中で声を出すことのよろこびで、空間を幸せでいっぱいに満たしたかった。
そんな幸せな夜を定期的に届けられるなら、クラブシンガーという仕事は最高だ。きっと毎夜、ランナーズハイに似た多幸感に包まれるだろう。歌の中には物語があって、昔娼婦だった女や、恋人に捨てられた女、それでも愛を貫く女、情熱的な女、たくさんの女が出てくる。女のまわりには魅力的な男がいて、その愛は永遠だと言う。歌の中で人間の真実に迫る。正直であること、孤独であること、さまざまな人間の葛藤を歌う。
歌の世界は問うことだけでなく、溺れることもできる。音に乗って体を揺らせばただそこに幸せな夜があることを体現するようなとびっきりのナンバー。
もっと満ちればよかった。もっとゆだねればよかった。もっと素直になればよかった。もっと踊ればよかった。下手でも構わないから、たくさん踊って汗かいて、歌にとびっきりの色気を帯びた声を乗せちゃえばよかった。
なにもできなかった。
歌で人を楽しませることも、甘い恋を思い出してもらうことも、深い夜へと誘うことも…
わたしは無個性な、ただのモラトリアムシンガーだった。
モラトリアムを、きちんと歌の世界で乗り越えられなかったから、今もこうしてぐずぐずと文章を書く道を選んでいる。この時間全部仕事に使うべきだって思う自分がいるのに、どうしてもそうできない。夜になると思い出すのは昔のことばかり。
もらとりあむかんどー。
エロ小説が書きたいんですが、はてなさんに冷遇されるので書けません。別の場所で書こうと思います。そのときは告知します。
それじゃあ、また。
今日のブログ長えー。あきれるほど長えー。
★今日の過去記事★
クラブシンガー時代の思い出はこの記事で詳しく書いています。