わたしは、かんどーと申します。漢字に直すと実名となります。会社経営しております。会社は、携帯ショップ関係のお仕事です。
当初(2013年)は、このブログで接客スキルについて書いたりして、そこから人材募集ができたら良いなあと考えていました。いわゆる「人集め」ができたら良いと考えていたのです。
しかし、書いていくうちに、面白いブログとはなんだろう…という仕事とはまったく別のベクトルに好奇心が向いてしまい、「求人広告の代わりになるブログ」ではなく「魅力的なブログ」を目指してしまいました。(←www)
先日、キラキラしている方々のブログをちょっと読みに行ってみたのですが、わたしのブログと全然違いました…。人との交流だとか、パーティーの写真とか載せてました…。事業の宣伝だとか、どんな人と付き合いがあるとか、どういうことを頑張っているかが9割で、残りの1割が趣味。舞台を観に行くことだったり、体を鍛えることだったり、記念日に食事に行ったとか友人の結婚式だとか…。
みんな、とてつもなく忙しそうでビックリしました…。
でも、ブログとして面白いかと言われると、まあ表面的なことしか書いてないから、面白くはないんですね。あと一歩、裏話とか、人に言えないような話とか書いてくれると面白いんですがw やっぱり実名だと書けないのかもしれないですね。
そういうネットサーフィン(思えばここ二年くらいキラキラしている人を避けていた。そういう人がどんなブログ書いてるかなんて見たくもなかった)は久しぶりだったので、新鮮だった半面、まったくわたしが求めている世界ではないということに、改めて気づかされました。
「充実」「実現」「絆」「仲間」「つながり」「友達」「夢」…
わたし、こういうの苦手です。
「劣等感」「不公平」「閉塞」「老朽」「現実」……そういうものが現実の社会にたくさん溢れていると思っていて、その中で己の役割を果たす時間があるとかそういう認識です。自己とかそういうものに対してとても多く気持ちが向きます。仕事の約束は守りますが、大人にはなりきれません。
多くの人が希望に満ち溢れて起業などするのだと思いますが、わたしは現実に打ちのめされ、他に方法がなく起業しました。事務仕事などが壊滅的にできないので、一般社会では主任にさえなれず、郵便物を間違ったところへ出してしまったり、金額を間違えたりが日常でした。
わたしがこんな出来損ないなので、営業および販売の現場スタッフに事務仕事まで任せることはしていません。それが苦痛な人もいることがわかるからです。(もちろん、得意な人にはやってもらい、どんどん会社を仕切ってまとめてもらいます)
生きるのがきついと思うレベルのわたしですが、自分の会社で請けている仕事は精一杯やりますし、責任持ってやりとげる気持ちがあります。会社のことを考えない日などありません。
しかし、会社をやっているから、看板を背負っているから「汚い面をひた隠しにして、きれいごとを綴る」義務もないと思います。
中には本当に、表の世界でキラキラして満足な人もいるのかもしれませんが、わたしはそんな生活無理です。毎日のように初対面の人と出会って「会社のために人脈広げて」なんてできません。人づきあいのキャパはかなり狭いと思います。
ダメな部分もあり、人間であり、書きたいことをどんどん書いていきたいです。汚くても、ダメでも構わないと思っています。っていうかこのブログでもわたしは結構かっこつけてるつもりです。(全然かっこよくねえよと言われるかもしれませんが、これでも事実を少し肉付けしたり、かっこつけていることもあるのですよ)
まだ自分の気持ちがわかりません。
キラキラする人が「うらやましい」のか「うらんでいる」のか「関わりたくない」のか。そのどれでもない気がしています。キラキラ世界と距離を取りすぎてしまったので、どういう風に思っているのかさえわからなくなりました。
「文章書くの好き?」に対しては「大好きですよ」と答えられます。
「現場の仕事好き?」に対しても「結構好きですよ」と答えられます。
でも、「社長の仕事好き?」と聞かれたら…
「社長のあり方が、こうあるべきと決められている今の世の中だと、好きじゃないかもしれない。でも、起業したおかげでこの年齢まで生きられたから感謝はしているかな」という煮え切らない答えが導き出される。
世の社長たちは何考えてるんですかね。
きっとわたしには計り知れない苦労とか、あるんだろうなあ…
そういうの、社長仲間では語り合ったりしているんだろうか? なんか弱み見せたらいけない気がして、社長友達と会っているとき全然そういうの話せなかった。(今はそういう集まりも出ていない)
もしかして、根底にコンプレックスがあるのかな。社長たちはわりと高学歴の人が多かったから。
しかし不思議なのは、社長の集まりで学歴の話になるとものすごく萎縮してしまったのだけれど、文章を書く人の集まりで学歴の話になると、むしろ多様性が受容されるというか、低学歴でこれ書くんですか、マジっすか的な別の力が加わってくる。
そういう集まりだと学歴の取り扱い方も少し違っていた気がするな。
文章を書くことは、「学歴でははかれないものを出せる」芸能の世界の一部だからなのかもしれない。芸能の世界がどれだけ厳しいか、少しだけ知っているのでこれはこれでしんどいのだけれど。簡単に言うと「夢は見られるけど甘くない世界」みたいな。
きっついね。
生きるって、とてもきついこと。しんどいことの連続。不満が積み重なって崩れるまでの刹那的な時間を過ごし続けるゲーム。みんなギリギリで踏みとどまるから、ゲームは厳しくなるばかり。最終的には人が人を蹴落としていく。しかも「見えない手」に引きずり降ろされて堕ちていく、最悪の図式が成立している。
わたしたちは、恐ろしい世の中に生きている。
けれどわたしたちは、それでも生きる。それぞれの命を、一日ずつ前に進めるために、それぞれの環境の中で。
長くなりましたが、わたしはこんなことを考えて今日も生きています。毎日更新しているので、よかったら遊びにきてください。励みになります。
では。
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毎日ブログ更新をするためには? という方法論を書きました。
わたしのブログは自由です。