接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

起業してすぐの社長に心がけてほしいこと

スポンサードリンク

 

 

今日はわたしの会社の誕生日です。おめでとー。

 

8月10日は、自分の誕生日なんかよりずっと大事な日。きっと人生でずっと、一番大切な日。わたしが自分の意志で生き始めた日でもあるし、わたしの命が他の人の役に立とうと立ち上がった最初の日。

f:id:keisolutions:20170801020730j:plain

 

 

起業せよ

今の自分に満足が行かないとか、力がありあまってしまって、何をしていいかわからない人へ。ブログ起業というのももちろんいい。しかし、実業のほうが向いている人もいるんじゃないかと思ってる。

 

実業って、つまり人の手から手へ商品が移動する瞬間を見ることだったり、自分の作った商品を納品することだったりする。そこには堅実な営みがあって、そこに身を置いていると奇妙な安心感がある。バカみたいに儲かることは少ないけれど、実業で稼ぐ経験は必要だと思う。

 

 

生まれて初めて仕事で泣いた日

わたしが生まれて初めて仕事をして泣いたのは、わたしが営業して設置が決まったマンションタイプの光ファイバー設備に(マンションラックと言います)、工事の人の手によって電気が通った瞬間だった。※怒られたり褒められたりして泣いた、という経験は一度もない



物件はどこにでもあるような、20世帯くらいのマンションだ。最上階にオーナーさんが住んでいた。そのオーナーさんが、わたしという営業マンを信用してくれて、光ファイバー設備を設置することに同意してくれたのだ。

 

わたしはそのとき、じっと考えた。

 

「これからこのマンションに、いろんな人が住むだろう。そのたびにこの光ファイバー設備を使ってインターネットにつながっていく。わたしの名前はどこにも残らなくても、ここに住んだ人が光ファイバーでインターネットできるようになったんだ」

 

その事実はそれまで虚業で稼いできた自分を180度変えた。仕事ってすばらしい、こうして世の中の人が便利に生きられる環境を整えられることって、何より素晴らしいことじゃないか…!   その場では泣かなかったし、普通に工事立会いしていたけれど、終業後に一人でその設備をもう一度見に行って、そこで初めて、静かに泣いた。

 

 

ビジネスの喜びが、他のものを超えた瞬間だった。

わたしの脳内はビジネスの色、一色に彩られた。

 

 

そうか、商品が流通することって、普通のことじゃないんだ…! いつも何気なく買っているスーパーだって、たくさんの商品がただ並んでいるだけじゃない、競合しているんだ! そこには必ず「営業」という仕事が介在している。

 

車だって、家だって、全部人が作って人が売っている。世の中は、商品というものだらけなんだ! ガソリンも! 電気もガスもそうだ! あれ、電気やガスはなぜ独占されているのだろう? 選べる商品と選べない商品があるのはなぜなんだ?

 

大学の経済学部を出たわけでもない。コンビニはそこに勝手に建ってると思ってた。誰かの意志で建ってるとは思いもつかなかった。弁護士と税理士の違いもわからなかった。すべてが知りたくなった。

 

わたしは仕事モードになると完全にラリパッパでビジネスモードになってしまう。ここにこの商品を置いているのはなぜ。ここにこの飲食店ができているのはなぜ。この町を突き動かしている力は何。ぜんぶを解きあかしたくなる。

 

 

起業してみた

そんな体験を経て、いざ起業へ。

 

ウチの会社のメイン事業は「携帯ショップで光回線を販売する」こと。ちょっと珍しいくらい専門性が高いと思う。

 

それだけが得意な人が何人か集まって起業した。それぞれバックグラウンドは違うけれど、わりと似たような人が集まった。わたしは正直訪問販売の方が楽だと思っていたけれど、携帯ショップという「商品を売る場所」がいたく気に入って、この仕事で食べていこうと思った。

 

起業してしばらくは、飛び込み営業して仕事を取ってきた。取ってきた仕事をこなして次につなげつつ、新規開拓を行っていく。夜の時間はウチで働いてくれる人を探す。知人のツテを頼りに、どんどん人と会っていく。

 

一つだけ覚えておいてほしい。

 

起業してすぐの社長は、運が試される。そして、ほんのわずかな期間だけれど、努力と運がきれいに比例する時間があるのだ。その時間に努力できなかった人は沈む。もちろん、努力しても沈むときゃ沈む。だけど「若い」とか「女性である」とか「新米社長」とかっていう肩書ってせいぜい使えて2年。その間にコマネズミみたいに動き回れた人には、それなりの人脈が形成される。

 

 

毎日スーツを着て名刺を100枚以上持ち歩いた

わたしは起業してから3年くらい、毎日スーツを着ていた。どこで誰に会っても仕事の話を聞いてもらえるように。「わたしは仕事中」って誰から見てもわかるように。

 

そして、名刺は常に名刺入れにいっぱい入れておき、さらに発注して届いた100枚入りの名刺をそのままカバンにいれて、すぐに補充できるようにしていた。実際、たまたま知人と会ってそのまま飲みの席へ行き、とても人数が多くいて、名刺入れの中の名刺が切れたことが何度かあった。そんなときもカバンの中に100枚の名刺ストックがあるのでわたしは挨拶できた。(たぶん「名刺を切らしておりまして」は一度も言ったことが無いと思う)

 

そのくらいやって、やっと人並みの人脈が形成されるのだ。

 

もちろん、良い大学を出て、OBとかのツテが最初からある人はそんなことしなくても大丈夫かもしれない。定期的に仲間の集まりに出ているだけでツテが形成されているのかもしれない。

 

でも、みんながツテを持っているわけじゃない。持っていないなら、自分で作るのだ。逃さず、見逃さず、丁寧に人と接する。それを毎日毎日続ける。3~4年目で何かしらの結果がついてくるだろう。

 

3~4年。そこまでたどり着けたら、その起業はまあまあうまく行っているのではないかと思う。当時のわたしはいつまで頑張っても先が見えなくて、毎日つらくて、それでも自分を奮い立たせるようにして営業に行っていた。たくさんの人に馬鹿にされてきたし、たくさんの人の親切も受け取った。プラマイで行ったら絶対プラス。だって全部大事な経験になったもん。

 

 

起業したら運とパートナーの手を離すな 

起業したら、努力で引き寄せられる運は、引き寄せちゃってください。そういうの、必ずあるので。

 

あとは有能なパートナーがいるのなら、その人の手を離さないこと。きつくてもパートナーとの関係性はとても大事。わたしは役員の一人となかなか打ち解けられなくて苦しんだことがあったけど、周りが何とかとりなしてくれた。今はすごくいい関係だと思ってるし、もう手を離さないって決めてる。あんな有能な人の手を離しちゃダメだわ。

 

そして、起業してしばらく経ったら、今度は自分が人を助けて回ること。

 

友達の友達が困っていたら駆けつける。友達の友達が相談に乗ってくれと言われても駆けつける。何もシャットアウトしないで、ぜんぶ受容して自分なりに対応していく。こうすることで回り回って、自分が困ったときに助けてくれる人がたくさんできる。

 

最初は新参者、謙虚かつ積極的に。そしてある程度ビジネスの経験を積んだら、その頃には自分の時間もできているだろうから、その時間を人のために使っていくこと。

 

人が喜ぶことを自然にできる人になっていければ、その人は沈まぬ船となる。たくさんの人を未来へ運べる。

 

 

わたしはもう、新米社長ではなくなりました。今日から8期目が始まります。

 

 

10年目まで気を抜けないし、10年経ったって気は抜けないんだけど、わたしの人生に会社という歴史が残って本当に良かったと思っている。起業したことに後悔は一ミリもない。もう、起業させてくれた状況や人やすべてのものに感謝しかない。

 

最後まで読んでくれて、ありがとう。

 

これからも「接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記」をよろしくお願いします。そして、ケイ・ソリューションズ株式会社をよろしくお願いいたします。

 

それじゃあ、また明日!

 

 

文:貫洞沙織