移住して半年が過ぎました
こんにちは、かんどーです。私は今、セブ島に住んでいます。仕事は自分で始めた屋台で、新メニューを出したりしながら、飽きられないようになんとか頑張っています。移住して半年が過ぎました。本当に、仕事しかしていない半年でした。
そんなセブで見かけた光景です。
見えますか。黒いのは人です。ゴミの山から何かを探しているのです。
リゾート、セブの一面とはまったく違う世界が、街の片隅に広がっています。ここでゴミの山から売れるものを拾うしかない生活。仕事に就くことができない運命。知ることや学ぶことから隔絶された世界。
これが平等な世の中だと誰が言えるでしょうか。
あらゆる方向からの問題提起を受け取ることができるのも海外移住のメリット(あえてこう書きます)です。だって日本で普通に生活していたら、ゴミ山で暮らす人のことを自分の目で見ることがありますか? 話を聞いたりニュースで見るのと実際にその人を見るのとはまったく違います。
もう少しビサヤ語を覚えたら、私は彼らとも話してみるつもりです。それこそ、食材が余った日曜日に何か作って持って行くくらいのことはできますから。ここにいて彼らの存在を見過ごして帰るだけにはしたくありません。何かできないだろうか。答えは堂々巡りですが、それでも考えることはやめたくない。
このゴミ山から歩いて五分ほどで、コロンストリートという何もかもが安く買える明るいショッピング街に出ます。靴も信じられないほど安いです。店先には猫の親子がいて、一生懸命母猫のミルクを飲もうとする子猫がいた。
またそこからほど近いカルボンマーケットに立ち寄り、自分のためにマンゴーを1キロ買った。5玉買えた。これで130円ほどだった。 これを一日2個食べると便秘が完全に治るので、最近マンゴーもよく食べている。
マンゴーが食べられるカフェなんかでは、きれいにカットしたマンゴーが出てくるだろうけど、私はカットしない。熟した皮にナイフの切れ目を入れて、そのまま皮をはぐようにして手で皮を剥いてしまう。そしてそのまま丸かじりする。種の周りの実には食物繊維がたっぷり含まれているので、そこまでしっかり食べる。
マンゴーは文句なしに美味しい。セブ生活は文句なしに私に合っている。だけど毎日もやもやとした気持ちがなくなってくれない。
日本で自分に与えられた仕事だけしていた方がずっと楽だったような気がしてくる。でも違う。きっと私が今ここにいることにはちゃんと理由があって、いつかこの理由が起爆剤になって誰かを救ったり幸せにできたりするはずなんだ。
そう信じることでしか頭を切り替えることができない。
セブの街は今日も変わらずたくさんの人が笑い声をあげている。街の片隅で笑わない人たちがひっそりと生きている。部外者の私がその横を通り過ぎる。誰もそのことについて何も思わないし誰も期待していない気がしている。
世界は変わるだろうか。
誰かが変えなければならないのなら、私も変えるためのほんの少しの行動でも起こした方がいいと思っている。動かない私なんて死んだも同然だから。
屋台の仕事中の合間に、少しずつビサヤ語を習ってみようと思う。身近な人たちと会話をすることでしか得られないものがきっとあると思うから。
それじゃあ、また明日。