「ふるさと」
遠きにありて思うもの、としか言えない。私には「ふるさと」が無い。生まれたのは福岡だが、福岡時代の友達はいない。先日たまたま福岡に行った際は、セブで知り合った友達とその友達と3人でごはんを食べに行ってきた。
その友達は福岡がふるさとではないのだけれど、やっぱりセブで知り合った人と数人で、福岡暮らしを楽しんでいるらしかった。おなじだ、と思った。おなじだから私またこの人に会いたいと思って声をかけたのだろうし、何かシンパシーを感じたんだと思う。
繰り返すが、私には「ふるさと」が無い。
そもそもが根無し草。好奇心遺伝子が移民上等のアメリカ人ばりにそなわっているので、一つのところに落ち着くということ自体が出来ない。しばらく同じところにいるとその反動で一人旅がもはや旅の域を逸脱してアドベンチャー、下手したらサバイバルになりかねない勢いで、肉体と精神が破綻していく。
私はそんな自分の旅行スタイルがおかしいと気付いていたし、このままいくと危険地帯に足を突っ込むことになると思った。そんな自分を止めるために、生かすために「海外移住」をしなければならないと思った。私は自分を守るために海外への移住をしたのだと思う。実際それは功を奏し、精神はとことん安定しており肉体はほどよく疲れてよく眠れている。
このまま好き放題やって飽きてくれたらいいのにと思う。私は自分を運転するのが大変で仕方ない。なかなか寝ない赤子を寝かしつけるように大変だ。とにかく私はちょっと目を離すと何をしでかすかわからないのだ。怖い。
人に迷惑をかけることだけはしないようにしているけど、それだけでなく自分の命もしっかり守らないといけない。私にはふるさとなんてない。帰る場所はその時会いたいと思った人のところだ。Placeをふるさとに定義しなければならない理由なんてどこにもない。Familyにする必要もない。「会いたい人」こそが私のふるさとだ。
お題なんてくそくらえ。