正社員と非正規社員の生涯年収の差や賃金格差にフォーカスしている記事をよく目にする。数字にしやすい部分を持ってくると、そうなるんだろう。
しかし、正社員も非正規社員も非正規公務員も経営者も全部経験した私に言わせると、賃金の差は「結論」であって、本当に重要なのはそこではない、と思う。
私は非正規で働いていた時、とてつもない疎外感に苛まれた。
経営者をしていたときとの一番の違いは「自分の人生を生きていない」というどうしようもない思いにつぶされそうになったことだ。
正社員で働いていた時は、出勤するとその日の自分の仕事、というものがある。経営者の場合もその日のタスクがある。使命感のようなものが心を後押ししてくれる。
そしてタスクを成し遂げたときに「ひとつ乗り越えた」と思える達成感がある。
これが非正規になったとたん、仕事が場当たり的になり、その日その日をとりあえずやり過ごせば、低い金額の給料が振り込まれてくる、という現実を目の当たりにする。
給料が低いことも確かに問題なのだが、それよりきついと思ったのは、「仕事に対する熱意」というものが一切なくなってしまったことだ。
自分がいなくてもこの現場は回るだろう。
自分が発言する必要はないだろう。
むしろ黙っていた方がこの場はうまく回るのだろう。
正規の人が何かを決めるだけの会議、自分は座っていればいいのだろう。
こういう感情の方が人を殺すと思った。
人は食べ物が無くて飢えて死ぬのではなく、心が死ぬから、死ぬのだろうと思った。
なので私はこの手のニュース記事(非正規雇用の問題について)については流し読みしかしなくなってしまった。問題はもっと根深い。
責任のある仕事を任されないまま40になったら、絶望すると思う。
まあ、責任感で倒れたりする人もいるので、たとえば非正規で気楽にやって、人生は趣味で楽しもう、という考え方ももちろんあって、その場合は「非正規は賃金が安い」ということにフォーカスするのだと思う。だから「非正規でも子供を育てられるだけの給料を」という話になるのだと思う。
非正規でも楽しめている人と、そうでない人がいる。
問題はお金の話だけではないと思う。
以上です。