氷河期世代まっただなかの私です。
人生をある程度テンプレートがあるものだと考えていたり、計画性のある人にとっては刺さる記事なのかもしれません。
私は生来の計画性の無さから、上記の記事については「まあそうだよね~」という受け取り方でした。確かに求人少なかったw 一応教育系の短大を卒業するというのに、就職の斡旋がほぼないww そして私はフロムエーで見つけたヤマザキパンの夜勤契約社員になって、そこから人生を始めていきました。
「新卒で夜勤の工場?」と思われるかもしれませんが、夜勤は私が卒業するとき、やっと女性にも解禁になったのです。昼勤と夜勤では時給が全然違うので、私は夜勤でなければやらなかったと思います。
結論、やってよかったです。
ヤマザキパンの夜勤は、行きさえすれば居眠りをしていてもなんとか仕事は回ります。なので私は昼間にも仕事を入れていましたwww
ほとんど寝る時間がなかったので、ヤマザキパンの休憩時間(1時間の休憩がありました)で畳の部屋でゴロンと横になると、もう爆睡してしまって、時間通りに戻れないこともよくありました。今考えると超絶ダメダメなのですが、なにせ「夜勤女子」は少なかったので、良い意味で差別されていたんです。
「やっぱり女性に夜勤はきついだろう」
とかそういう感じで、私が寝過ごしても特に咎められませんでした。昼間も働いてるから寝ちゃったので完全に私が悪いのですが()
このヤマザキパンの夜勤を2年くらい続けて、とにかく思ったのが「寝るのは最高だ」ということでしたwww
飛び込み営業をしていた頃と、会社経営をしていた頃は、とにかく仕事にハマっていたので、あまり寝ませんでした。そのかわり、よく風邪をひいたり体調を崩していました。痩せるというより「頬がこけて」しまったりしていました。顔色が悪い、というやつですね……。
社会に出てすぐの仕事って、誰にとっても等しくインパクトが強い仕事になると思うのですが、私は夜勤のパン工場で、中国人の人たちに混ざって、どこかのラインの仕事を任される、みたいな仕事をしてみて、本当に良かったと思っています。
あの仕事を思えばほかの仕事ははっきり言ってチョロいからです。
工場では「重い鉄板を運び続ける」仕事もあったし、「暑い場所での作業8時間ぶっ通し」もありました。それに比べたら、真夏の飛び込み営業も、飛び込んでしまえば冷房が効いているからラクでしたし、多少の肉体労働を依頼された場合も、鉄板を運び続ける作業ほど長時間はやりません。なのでどんな仕事も「特につらくない」のです。
加えて、工場の仕事は時間が過ぎるのがとてつもなく遅かったです。
1時間が無限に感じるほど、時間が長くて、どうやったら時間が過ぎるのかを必死で考えていました。
それに比べると、比較的自由のある今の仕事などは、別に携帯をちょっと見るくらいは咎められないですし、自分のペースで進められる仕事だなと実感します。
教員をやっていた時も、多忙を極めた瞬間もあったのですが、次々に流れてくるランチパックのことを思えば、降ってくる仕事を一つずつ片づけていくことは容易かったです。(教員の仕事では、私は楽なポジションでやらせてもらっていたと思いますが)
結果として、どんな仕事でも文句言わずにとりあえずこなせるようになったので、きつい仕事から人生をスタートさせられたのは良かったです。
「あの時は良かったなぁ……」
と思えるようなラクできれいな仕事は、私は就いたことがないので、今のところ常に前向きに仕事に取り組めている気がしますw
来年の春からは海外就職に向けての就職活動です!
うまくいくか本当にわからなくてドキドキしますが、楽しみで仕方ないです!!
こうやって来年とか未来の自分に期待できることって、とてもうれしい状態です。世の中に幸せゲージがあるとしたら、私は常に10点満点中の7以上って気がします。
もちろん、「今は1だ1!!!」という自暴自棄な瞬間もあるのですが、ベースとして7以上の幸せを保っているので、この人生で良かったな~~と思っています。
生活やお金についても、なんとかなっているのがありがたいです。
氷河期世代が~とか言っても、結局最後には自分で何とかせねばならないのです。
私は自分の特性を生かして、これからも道を切り開いていきたいと思います。
それじゃあ、また明日!!