接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

お土産を買うのがこわい

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※今日の記事は、2019年に書いていた記事で下書き状態になっている記事を復活させたものです。古い読者の方は一度読んだことがある人もいるかもしれません。

 

 

 

 

久しぶりにガンガン書きますよ。

 

 

ついて来られますか?

 

 

オーケー、二人ほどついて来られそうなので今夜はわたし、書きまくっちゃう。思ったこといっぱい書いちゃう。推敲するより多幸感優先で多更新しちゃうよ。好きな人だけついてきて。

 

 

★★★

 

 

わたしはお土産を買うのが怖い。どこかへ行ってもあまりお土産を買わない。

 

わたしがお土産嫌いになったのは、20代の頃につとめていたある会社が原因だと思う。その会社には結局2か月もいなかったんだけど(笑)、一応派遣とかそういう形で入社していたと記憶している。何の会社だったのかは思い出せない。タイピングのテストがあって、わたしは爆速タイピングで受かったことは覚えてる。

※完全歩合の飛び込み営業の仕事に出会う前の話です。

 

 

その会社は、入ってみたらものすごい「チーム意識」とか「仲間意識」が強い会社で、わたしは一発で嫌いになった。退社後も一緒に過ごすとかあり得ないと思って、とにかく早く帰りたかった。

 

しかし20代で子どもがいるわけでもないわたしを早く帰らせるのは、その会社からしたら「仲間を放っておく」ことになるようで、とにかく無理やりにでもカラオケやら居酒屋やらに連れていかれた。時間とお金が無駄になるその時間がものすごく嫌だった。

 

そのとき、上手に「病気の妹を見舞に行く」とかそういう嘘をついていればよかったのに(わたし妹いないけど)、わたしは「お金がもったいないから行きたくないです」と正直に言って断っていたので、一発で職場からはじかれた。

 

 

ただし、その職場は表向き「みんな仲良し」なので、後から入ってくる新人のことも考えたのか、とにかく仕事中はきちんと会話をしてくれた。ただし、休憩時間や終業後に思いっきり無視をしてくる、そういう文化であった。

 

 

その会社にいるとき、わたしは「女しかできない仕事」時代にお世話になったお客さん(Tさん)と一泊二日で温泉に行ってきた。すごくいいお客さんだったので、一緒に旅行に行くくらい全然オッケーだったのである。そこでわたしは「今は昼職しててね」と仕事の話をした。Tさんは、わたしは昼の仕事をしていることをすごく喜んでくれた。

 

夜はもちろん体を重ねた。Tさんは「お店でしか会えんと思ってたのに、こうして会ってくれてうれしい」と言ってくれた。わたしは「Tさんだけですよ」と言った。本当に、Tさん以外とは外で会っていなかった。温泉もあたたかかったし、Tさんの心もあたたかかった。Tさんは結婚しているのを知っていたので、わたしは会えるときに注げるだけの愛情を注ぐことに専念していた。

 

一泊二日の逢瀬が終わりに近づいたとき。観光地であるその場所で、Tさんはふと足を止めた。

 

「お世話になっとる人たちには、お土産を買わんといかんね。これにしい」

 

とひとつお土産を選んでくれた。Tさんが選んでくれたお土産。わたしは自分がちょっと大人になったような気持ちで、「うん!」とそのお土産を胸に抱いた。そのあと駅で、お互い反対方向の電車に乗ろうとするとき、わたしは涙が止まらなくなって、Tさんに二度と会えないような気がして、たくさん泣いた。

 

 

翌日、わたしは会社に行き、朝の挨拶とともにTさんが選んでくれたお土産をチーフに渡そうとした。

 

するとチーフは「お土産はAさんが配ることになっているから、Aさんに渡して」と言ってきた。ああ、そういうものなのかと思ってAさんに渡しに行った。Aさんは飲み会やらカラオケやらを仕切っている人でもあるので、少々気まずかったが、仕事中なら大丈夫だろうと思い、お土産を渡した。

 

「かんどーさん、彼氏と温泉行ったの?」

 

聞かれて焦った。わたしは目を泳がせて、ええっと、とかうーん、とか繰り返していた。両親と行ったんですよーとか上手にウソをつけばいいのに、それもできない不器用な人間だった。

 

「なに、言えないような人と行ったわけ?」

 

わたしは真っ白になった。Tさんは、後ろ暗い人ではない。しっかりした人だ。きちんとした仕事に就いている。言えないのはわたしが言えないというだけで、Tさんを馬鹿にする権利はこの人にはない。わたしは無言で立ち去った。

 

 

給湯室には、お土産置き場がある。

 

 

勝手に取って食べればいいのに、Aさんがそこに置いて、Aさんが3時に配るのが常となっていた。わたしは給湯室に行く用事は無いのだが、女子トイレの近くにあるのでなんとなく視界に入っていた。

 

Tさんが選んでくれたお土産は、月曜には配られなかった。火曜も、水曜も配られなかった。その間、取引先の人がくれたシュークリームも配られたし、別の人が京都に行ったとのことで、八つ橋もくばられた。でも、わたしのお土産はずっと給湯室に置かれたままだった。

 

木曜になり、金曜になった。そろそろ賞味期限が切れてしまう。でもAさんが配らなければ、どうすることもできなかった。

 

 

わたしは、金曜にそのお土産を持ち去り、誰にも何も言わず、荷物をまとめてこっそりと退社した。

 

 

わたしはこの会社にいる意味がないと思った。お土産を配ってくれないだけで、こんなに毎日胸が張り裂けそうになる。このままお土産の賞味期限が切れたら、たぶんわたしは死んでしまうと思った。だからお土産を自分の家に持ち帰り、一人で全部食べた。泣いて泣いて、また食べて、携帯電話の電源を切った。

 

 

優しいTさんの顔と、お土産を配ってくれない意地悪なAさんの顔を交互に思い出しては泣いていた。

 

 

どうして人は人に優しくなるのだろう。
どうして人は人にここまで冷たくできるのだろう。

 

 

わたしには、すべてがわからなかった。ただ泣いたり全部食べたりすることでしか、その現実を消化できなかった。

 

翌日、わたしはひどい吐き気で目を覚ましたが、吐くのが怖くて吐けなかった。丸一日、気持ちが悪かった。泣いてもうなされても、一人だった。

 

 

それからは、前にも増して、仕事を転々とするようになった。とくに、自分の誕生日やクリスマス、遠出の予定の前に仕事をやめて、新しい仕事をするようにしていた。そうすればお土産やプレゼントを買う必要が無いからだ。自分の誕生日も、クリスマスも、遠出した翌日も、一人、部屋にいた。

 

誰からも見つからない場所である、自分の部屋で。

 

2DKの間取りにこだわったのは、一人で部屋にいてじっとしていられないからだ。歩き回るなり場所を変えるなり、とにかく動ける広さがないとだめだった。だからいつも築年数が25年以上の古い物件の、2DKに一人で住んでいた。

 

 

2DKは、わたしの誕生日とクリスマスを何度も飲み込んでいった。使い古したフランスベッドは、女しかできない仕事の給料で買ったものだった。古い部屋の畳の上に、満たされない思いを投影したような高い家具を置いている、ちぐはぐな20代だった。

 

 

「ひとり暮らしをとことん楽しむ」

 

 

という雑誌を何度も読み返していた。わたしは「ひとり」という言葉がすごく好きだった。ひとりで部屋にいて楽しそうにしている女性の写真を見ると心が踊った。こんなふうになりたいと思った。 その雑誌に載っているイスに似たものを買ってみたり、食べもしない果物を買ってみたり、飲みもしない紅茶を買ったりした。

 

「コーヒーだけはこだわってます!」美容師・月収16万
「このソファでくつろぐのが休日の楽しみ♡」アパレル・月収14万
「ベッドの上にクッションをいくつも置いてソファ代わりに」OL・月収21万
「憧れの天蓋付きベッドでぐっすりと」看護婦・月収19万
「ひとり時間のおともにいい香りの紅茶を」OL・月収13万
「お気に入りのパン屋さんで朝食を買ってきました」学生・仕送り7万
「猫とくつろぐこの暮らしが好き!」アルバイト・月収17万

 

 

職業と月収があられもなく並べ立てられたその雑誌は、わたしの教科書だった。

 

 

どの仕事につくとどのくらいの給料がもらえるのか。わたしはその雑誌で「なんとなくの平均月収」を学んでいた。そして思った。世の中腐ってる、と。

 

 

わたしは腐った世の中なら、自分も腐ってやればいいと思った。腐りきって、怖がって誰も近づけない人間になればよいのだ。もっと腐ってやる。

 

自傷行為のかわりに、わたしは自分をどんどん「きつい仕事」に就けていった。女しかできない仕事にも種類があって、行けるところまで行ってやると腹をくくったのだ。

 

 

しかし、そうすればするほど、わたしの魂は腐るどころか浄化されていった。

 

人を癒す仕事に就くと、自分が浄化される思いがしたのだ。当時のわたしは「ありがとう」と帰っていくお客さんとの関係が、刹那的で美しく感じて仕方がなかった。一人一人のお客さんとの出会いが、宝物みたいに思えて、お客さんを友達のように、親のように、恋人のように思うことができた。

 

 

わたしの魂は、完全に浄化されて俗世へと戻る。その繰り返しだった。

 

ふつうの人は「女しかできない仕事」をすると心が汚れるというが、わたしはまったくその逆で、その仕事をしている時間に心が浄化されて、昼間の仕事に就くと心が踏みつぶされていた。

 

 

ちぐはぐなまま、わたしは歌を歌ったり男の人とつきあったりしながら歳をとっていった。

 

 

いつからか、旅好きな人になっていた。それでも、お土産売り場を素通りする自分がいた。お土産を買う、ただそれだけの行為を嫌悪し、怖がる自分がいた。自分でもその感情と向き合いたくないから、土産物売り場はずっと素通りしている。

 

 

やっぱり今でも、わたしはお土産を買うのが怖い。

 

 

上手に人に配れないし、せっかく買っても食べてもらえなかったら寂しいから。もうあの気持ちを味わいたくないから。わたしが悲しいだけならいいけれど、一生懸命作ってくれた人がいるのなら、その人の気持ちを踏みにじることになってしまうから。

 

上手にお土産を配れる人生を送っている人がうらやましいです。

 

 

長くなりましたが、わたしは未だに、お土産を買うのが苦手なんです。

 

 

近しいところにいるのに、わたしから一回もお土産をもらったことが無い人へは、本当に申し訳ないのだけれど、そういう理由です。

 

いつか、笑ってお土産を配れる自分になれたらいいな。

 

 

それじゃあ、また。