接客業は卒業したよ! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

発言権のない場所に居ることは「居ないこと」と同じだと思う話

スポンサードリンク

発言権……その場にいて「発言する権利」のことですが。

何か言うことはできても、そこに忖度が生じたり、場の空気を読んでしか意見が言えない状況は「発言権がない」のと同じだと思います。


たとえば、役割のロールモデルに沿った発言しかできない場合などがそれにあたります。私の場合ですと、非常勤講師という立場上、何かの行事を運営する際に、メインの担当者にはなりません。そこまで思い負担を課せられないことが非常勤の仕事の良さでもあります。

しかし、そうなってくると、行事についての話し合いや会議に参加しても、ほぼ発言権は無いのと同じです。実際に指揮を執って行事を運営する人がやりやすい状況にしないといけないから。


たとえばこの状況で、

「運営する人が一番心地いいように運営してほしい、私の意見はそれだけ」

のように言えるなら、それは風通しが良い方だと思います。


風通しが良くない場合、

「ちょっと私は思いつかないですね~」
「みなさんの意見を聞いて決めたいですね~」

のようにぼかしたことを発言するか、そもそもうなずいたりするだけで発言そのものを「しない」という選択になります。これは相当尊厳が失われる状況だと思います。


日本で仕事をしていると、こういう「空気を読んで発言を控える」という状況は非常に多いのではないか、と私は思っていて、それはその人が受けた教育や、それまでの成功体験、失敗体験に基づいているのではないかと思います。


これ、結構大問題です。


「発言しないこと」が最善の選択って……それで本当にいいんでしょうか。
全員が考えを持っているし、そこに「居る」のに。

私は場の空気を乱さない「その場に合った」ふるまいを出来るので、今はそうしていますが、常に「おかしいよな」と思いながらそこにいます。同じように発言していない人が一定数、というか大半の人がそうなっている状況に危機感を覚えます。


来年の春からは、そういう変な忖度の無い、海外のどこかで働けていることを願います。


日本にいて、場の空気を壊さないように生きるスキルも身に着けたけれど、やっぱりこれじゃつまらないと思うからです。

面白い、と思えるように生きていきたいです。


それじゃあ、また明日!!