私は、アイドルだ。
本名は綾子というどこか古臭い名前だけれど、アイドルのときは「あかり」になる。
今から二年前、高校二年生のときに、地域密着型アイドルのメンバー募集に応募したのがきっかけだ。
歌はうまい方だったしダンスも習っていたことがあった。オーディションはあっさり受かった。私のほかに五人受かって、六人組のアイドルグループになった。グループ名は地元の駅名「夢見が丘」をもじって「ゆめみ☆GA☆おか」に決まった。
プロデューサーは三十六歳独身の石田さんという男の人。痩せ型体型で物腰が柔らかく、すぐにメンバーから「いっしー」と呼ばれるようになった。アイドルグループを作るのはこれが初めてで、手探りで始めたそうだ。
地域の人たちとのつながりはあるから、活動場所はたくさんあると意気込んでいた。私たちを乗せた船はゆっくりと動き出した。
レッスンは週に二回、一回四時間、公民館の一室を借りてやっていた。歌とダンスの先生が来てなかなか本格的だった。最初は基礎練習をやっていたけれど、ある時から有名アイドルの曲をカバーして練習するようになった。カバー曲が二曲仕上がったところで、いっしーはさっそくライブの予定を組んできた。私たちのデビューは、団地の小さなお祭りだった。
メンバー六人お揃いのピンクのTシャツに、自前のショートパンツを履いて団地の段差をステージに見立てて歌って踊った。その次の週は老人ホームを訪問してライブをした。
三か月目から、オリジナル曲を歌うようになった。地元の音楽専門学校の生徒から曲を公募して選び、歌詞はいっしーが書いた。「夢見る☆ミラクル」という、いかにもな曲だったが、サビの部分の「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」というところのメロディがとてもきれいで、メンバーみんなこの曲をすぐに大好きになった。
オリジナル曲ができた頃から活動の幅が少し広がった。地元のお祭りでステージに立って歌った。有名アイドルグループの曲を三曲と「夢見る☆ミラクル」を歌った。地元で「ゆめみ☆GA☆おか」はちょっとだけ名前が知られてきた。「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」の部分だけは知っている、というお客さんもいて、一緒に歌ってくれるようになった。ステージのMCで、
「週末ヒロイン、ゆめみ☆GA☆おかです!」
というお決まりのセリフをメンバー全員で声を合わせて何十回も言ってきた。
グループ結成から一年が過ぎた頃、一波乱あった。
メンバーが四人一気にやめてしまったのだ。一人は別のアイドルグループにスカウトされたらしい。いっしーの顔が曇っていた。残ったのは私と「ゆうか」の二人だった。
追加でメンバー募集をかけるという話もあったのだが、いっしーは飄々と、
「あかり、ゆうか。しばらく二人でやってみようか」
と笑った。私とゆうかは同い年で背格好も似ていた。雰囲気の似ている二人が残ったという感じだ。せっかくだし、とカメラマンを雇って本格的に二人の撮影をして、ホームページをリニューアルした。私とゆうかは、いよいよアイドルらしくなっていった。
オリジナル曲は「夢見る☆ミラクル」を代表に、全部で六曲に増えていた。有名アイドルグループのカバーは二十曲できるようになっていた。二人でパフォーマンスをするようになったので、歌割り(誰がどこを歌うか)や振付を大きく変えたが、六人だった頃よりキレが出て、むしろ見映えがするようになった。
もともと我の強い二人ではないから、ここは私が前に出て、ここはゆうかが出て、という出し引きがスムーズにできた。ステージの上では激しくダイナミックに動くけれど、ステージを降りると私とゆうかはすごく仲が良かった。
いっしーは淡々と週末のライブ予定を決めてきた。地元のイベントとライブハウスでの活動が半々だった。ライブハウスは音響がよくてマイクの声がよく通る。後から動画を見ると、ライトを浴びて歌っている自分たちは、まぎれもなくアイドルなのだと実感した。
「歌の決めどころは、あかりに任せる」
いっしーにそう言われたので、私はボイトレで声の通りを良くする特訓をしてもらった。短期間で一気に声が通るようになり、元々音感が良かったのか、コーラスを取ることもできるようになった。(これには自分でも驚いた)
私は歌が前よりずっと好きになった。代表曲「夢見る☆ミラクル」も、いざ自分がメインで歌ってみると、テンションの高さをメロディに乗せやすくて私にぴったりの曲だった。「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」のところはゆうかと手を繋いでステージの上で回ったりジャンプしたりした。客席へ降りて行ってお客さんと手を繋いで回ったりジャンプすることもあった。このパフォーマンスは初めて来てくれた女性のお客さんにも大受けした。
ゆうかも開眼していった。
「ゆうかは客席とのコミュニケーションが魅力だから、これまで通り自由にね!」
いっしーの言う通りだった。ゆうかは客席との距離がとても近くて魅力的だ。歌もダンスも未経験からスタートしたゆうかはいつも全力で一生懸命で、粗削りだからこそ訴えかけるものがあった。何より性格が底抜けに明るくて表情が豊かだった。私が落ちサビ(曲が一瞬静かになってソロで歌うところ)を歌っているとき、片膝をついて天をあおぎ、全力で念を送るパフォーマンスをするゆうかの姿は神々しかった。(正直、私たちのパフォーマンスにおける落ちサビは、ゆうかの姿こそが見せ場なのである)
ゆうかはいつも客席を巻き込んでくれる。客席に降りて行ってファンや他のお客さんと手をつないで回るパフォーマンスは、ゆうかがアドリブで発案したものだ。いつも来てくれるファンにはステージの上から指差しをしたりサービス満点だ。そんなゆうかに引っ張られて、私も客席へのサービスが上手にできるようになった。
ライブもどんどん良くなっていった。私とゆうかがよくやるパフォーマンスは、曲の途中でお互いの手を繋いだりハグをすることだ。女の子同士が仲良くしている姿は、ファンから見て「可愛い」と思うものらしい。実際に仲が良いので呼吸がぴったり合っていた。
そんな活動をゆうかと二人で一年続けた。アイドル生活は丸二年が経過した。私もゆうかも高校を卒業して、大学生になっていた。
ライブのたびに来てくれるファン(オタとも言う)は常時二十人くらいいた。遠方の方やSNSで応援してくれる「在宅オタ」の方も含めると百人くらいのファンがいる状態で、適度な距離の近さと親しみやすさがあいまって、ファンが離れていかない状態になっていた。
私はそのころから、もやもやと悩み始めた。毎日、忙しいのに退屈なのだ。
いつも同じ曲、同じお客さん、同じようなライブハウス。全力でパフォーマンスしても返って来る反応は「良かったよ!」「今日も可愛かった!」といったもの。私は、「これ、私がやらなくても良いのではないか」と思い始めていた。声の通りが良くなってから、私は洋楽を歌うようになっていた。独特のリズムの取り方に体を慣れさせると気持ちが良い。オケ(録音してあるカラオケ)で歌うのではなく、生バンドで歌いたい。もっと高音も低音もある曲が歌いたいし、難しい音階や複雑なコード進行の曲が歌いたいと思っていた。「ゆめみ☆GA☆おか」の曲はみんな覚えやすいけれど簡単なのだ。
私がもやもやしていることは、なんとなく周りに伝わっていった。一人になると辞めることばかり考えてしまう。ゆうかは初心を忘れずにずっと一生懸命やっている。ゆうかにとっては「ゆめみ☆GA☆おか」の活動こそが自己表現の手段になっているようだった。私はゆうかのテンションを下げたくなかったから、いっしーだけに私の気持ちを全部話した。
いっしーは真顔になって私と向き合ってくれた。私の話を全部聞いて、もっと上を目指したい気持ちも理解してくれた。そうしてこう言った。
「あと三か月だけ、やってくれない? その間、あかりにできることを全力でやってみてほしい。それ以降は引き止めたりしないから」
私は期間が限定されたことで、もやもやしていた気持ちが少しおさまった。その後のライブではゆうかと二人、今まで通りはじけることができた。
一か月が過ぎたころ、新曲を一曲もらったのでそれを練習していた。ふだんはダンスの先生が振付をしているのだけれど、この曲はゆうかと二人で振り付けをすることにした。歌って踊ってみて、それまでの曲と少し違う気がしていた。なんというか、歌うのにコツがいるのだ。複雑なコード進行、階段を一段飛ばしで駆け上がるような不思議なメロディ、それなのに音から色彩を感じるような不思議な曲だった。複雑なAメロBメロを超えるとキャッチーなサビが来て盛り上がる。本当に素敵な曲だった。
新曲をライブでお披露目する日が来た。いつもはオリジナル曲を三曲やって、MCをはさんで代表曲「夢見る☆ミラクル」で締めくくるのだが、この日は一曲目から「夢見る☆ミラクル」をやった。客席からはコールの嵐、みんなでジャンプしたり会場は大いに盛り上がった。「♪夢見るミラクル♪未来はミラクル」のメロディは、このまま永遠に続いてほしいくらい気持ちが良かった。続く二曲目、三曲目もステージと客席が一体となっていた。そしてラスト、新曲のお披露目となった。私は今日のライブ直前、いっしーに言われたことを思い出す。
「この曲、久しぶりに僕が歌詞も曲もつくったんだ。歌うの難しいでしょう。でも、あかりなら歌えると思ったんだよ」
ステージの上なのにこんなにリラックスしているのはなぜなんだろう。あんな嬉しいことを言ってもらえたからかな。ゆうかと二人、手を繋いで新曲の立ち位置を確認し、ぴたりと動きを止める。
会場のライトが一瞬落とされる。あたりは真っ暗になり、しんと静まる。私とゆうかは右手のひらで目元を隠すポーズをとって、曲が始まるのを待っている。左右のスピーカーから聴きなれたイントロが流れてくる。ここ一か月、毎日練習していた新曲だ。しかしこの曲をライブハウスの大音量で聴くのは初めてだった。イントロの音が粒になって降って来るような気がした。音の一つ一つが美しくて、イントロのメロディはせつない水色だった。音が色になって目の前に降って来る。こんな感覚は初めてだった。
体にしみこんだダンスを音楽にあわせていく。音の粒と指先までしなる体の動きがリンクする。マイナーなメロディのAメロは悲しみのブルー。私とゆうかが交互に歌って、歌っていない方は切ないダンスで客席を歌の世界に引き込んでいく。体が思うように動く。声が思ったところへ飛ぶ。
新曲は迷い悩んでいる主人公が、一体どこへ行けばいいの? と街をさまよう歌だ。
「♪どこへ行っても居場所なんてなくて 声も出せなかった」
灰色の音の粒。
「♪誰を待っているわけでもない駅で 雨のにおい まだ降り続いて」
水色の音のしずく。
「♪どこへ行っても何も変わらないなら 歌よ運んで私を」
黄緑の音の流れ。
「♪強い力で連れて行って ここじゃない場所へ!」
オレンジの力強い音。力強いゆうかの歌声はどんどん音量を増す気持ちのいいクレッシェンド。音の魔法で曲は一気にメジャーコードになり、世界が明るくなる。
「♪その光をたよりに 見つけにいこう 一緒にいこう」
強い強い赤。きれいな音楽に気持ちよく私の声が乗っていく。音と世界がマーブル模様の異空間になっているのを感じる。
ノリの良い新曲のメロディにお客さんも巻き込まれている。会場に音のシャワーが降っている。その美しい水のひとつに、今私はなっている。小さな美しい水のしずく。無限にあるものだけれど、ほんとうに美しいものはたったひとつ。ああ、その瞬間を胸に刻むために、私たちは生きているのかもしれない。
落ちサビで私は新曲に込められた一番の命を歌う。ゆうかが私のほんの少し後ろで片膝をついたのがわかった。私は一瞬目を閉じて、美しい音に小さく澄んだ声を乗せていく。
「♪その光をたよりに 見つけにいこう 一緒にいこう」
一拍の空白の後、転調してひとつキーが上がる。三回同じメロディを歌う。ゆうかと声を合わせて、客席のすみずみまでこの歌を行きわたらせるように。私は音楽の色と形と手触りを味わってしまった。この快楽はもしかしたらものすごい宝物かもしれない。
客席からたくさんの手がこっちに向かって伸びている。世界が力強く揺れている。一瞬スポットライトが私を照らした。まぶしい光がまぶたを刺激して、目の奥がつんとした。言いたいことがたくさんあるのに何も言えない気持ちがあふれてきて切なくなる。だけど言いたいことはもう全部この音の中にあって、もうほかに何もいらないんだ。
曲が終わり、ゆうかと二人繋いだ手を高く上にあげ、いつものように深くお辞儀をした。いつもはこのままステージ袖にはけるのだけれど、この日私はマイクを持ち、客席に向かって話し始めた。
「みなさん、最後まで聴いてくれてありがとうございます」
突然のMCに客席は驚いていた。ゆうかも驚いていた。
「私たちは、これからもみなさんがいる限り、ずっとずっと歌い続けます。これからもよろしくお願いします!」
客席が沸いた。ゆうかは私をぎゅっと抱きしめて、それから私の頬を軽くなでてくれた。自分でも気づかないうちに私は泣いていたらしい。ゆうかは私が辞めたがっていることに気づいていたと思う。だけど何も言わずにいつも通りに接してくれていた。私が結論を出すのを待ってくれていたのだ。ゆうかも泣いていた。客席の拍手はいつまでも鳴りやまなかった。